第十話「ルナシティIIIの危機
 ルナシティIIIに限らず月面都市はすべて密閉された人工環境であ る。その中で人間が快適に生活していく為の生命維持装置を動かす為には多大なエネルギーが必要不可欠になってくる。もしそのための動力を失えば内部の環境 は失われていきやがて深刻な状態に陥ってしまう。特に月の長い夜にそういう事態に陥るならば一大事である。場合によっては全滅してしまう事だってありえる のだ。実際過去にそうした事故が起こっていた。とはいえその教訓を生かした設計にルナシティIIIはなっていた。安全の為二重、三重のファイルセーフが設 定されているのだ。
 例えばルナシティIIIの動力は都市自体に設置された太陽発電装置と核融合炉である。その両方が使えない場合には月軌道上からマイクロウェーブで送電さ せる仕組みになっている。
もちろんこれは事故を想定しての話だ。もっと意図的に悪意を持った誰かが計画的に破壊活動を行ったらどうなるか?そういった事態に対してシミュレーション こそ行われては来たものの実際に経験した事はない…
 地球標準日で一日、ルナシティIIIがある晴れの海は月の影の部分「夜」に入っていた。それまでの「昼」の時間、月面都市の外壁は太陽のエネルギーを吸 収し電気と熱の形でいくらかを使用しながらも蓄えて来た。その蓄えを長い夜の間に使って保たせるのである。もちろんそれだけではこの巨大な都市を賄うには 足りないので地下にある核融合発電炉で補うわけである。このシステムは実によく出来ていた。だが人間の作るものに完璧なものは無い。ましてやそこにある小 さなほころびをつつこうとしているものがいるならなおさらである。


 月面上を滑るように移動している物体が多数。隕石などが描く軌道ではもちろんない。宇宙船でも無かった。もっと異形の物体である。丸い大小の胴体が三 つ、その真ん中の部分からは八本のごつい手足が生えていたが今はそれは小さくたたまれている。それは晴れの海にあるルナシティIIIの側まで来るとたたま れている脚を広げてそっと地面に着地した。もっとも空気がないのだからもともと音などしないのであるが。その数は四、五十にもなるだろうか?それはクモ型 のロボットであの惑星警察の船を奪った者達が手先に使っていたのと同型であった。そいつらは夜の闇に紛れ文字通り蜘蛛の子を散らすようにルナシティIII の各部に向けて蠢いて散って行った。
 もちろんテロ対策の為に都市の外には様々なセンサー等の監視装置があったのだが、なぜかそいつらはいとも容易くそれをすり抜けた。あるものは外壁を伝い その敷設に取り付きあるものは外部ハッチをこじ開けて内部に侵入した。だが誰もその事に気づくものはいなかった。

 その内部に侵入した内の二つのロボットクモは他の物と様子が違っていた。そもそも侵入ルートから違っていたのだがその二つは空気のあるブロックの内部に まで入り込んでいた。腹に当たる部分に貨物スペースがあってそれぞれ中に誰かいたのである。その誰かも人間ではなかった。
『恐いくらいに上手くいっているな。ホントに信用していいのか?あの人間…』一匹のロボットクモは脚をもう一匹にのばして接触通信で呼びかけた。まわりは コンクリートと鋼材で作られた通路のようなところで太いパイプやケーブルで取り囲まれている。ここにも当然警備用のセンサー類が設置されているはずなのだ が何事も無かったのように沈黙していた。
 クモは通路の奥に入り込むとやがて止まった。
腹の上部にあるハッチが開くと中からそれぞれ素早い 動きで誰かが飛び出した。
一人は小柄な少女ででもう一人はグラマラスな体型の女だ。



「この奥だな。シノブ、例の装置は準備出来てるか?」小柄な方の少女が言った。
「ここにある。ヴェスタ、わたしが見張っているから取り付けてくれ」シノブは一枚のカードを手渡した。一見厚みのある黒い金属板に見えるが何かの電子回路 のボードらしかった。
「OK、まかせた」ヴェスタはカードを持って床にある大きな鉄の扉を軽々と開けると中に潜り込んだ。中は狭く、様々な機械装置がひしめいている。ヴェスタ はあたりを見回すと目的の機器の方に近づいて行く。どれも同じような機械が並んでいるのだがすでに彼女にはその位置がつかめているようだった。その部分の パネルを開くと中のモジュールの間にある空きスロットに例のカードを差し込んだ。ヴェスタはカードの端にあるスイッチを引き起こすとその横の赤いランプが 点滅しだした。ランプは5つまで点灯した後、緑に表示が切り替わった。そのタイミングを見て近くにあった別のコネクタをつかむと勢いよく引っこ抜いたの だった。
 
 その瞬間………ルナシティIIIは停止した。

***


 アリスはツォルコフスキー大学の食堂にいて学内の友人達3人と食事をとっていた。時刻は正午を少し回った所だ。一同は窓際の陽の当たる(人工のだが)席 に陣取っていつものようにおしゃべりしながら学食をパクついている。話題はいつものやつで男友達や友人の噂話に教授関連の悪口を含む内容を勝手気ままにい いあっている。たまに講義や研究の課題も上る事はなくもないのだが…。アリスはそんな話を適当に聞きながら窓の外から見える図書館の方を眺めた。
 ジェシィ、ちゃんとご飯食べてるのかなぁ…アリスの姉は若いながらも作家である。といっても売れっ子という程ではない。13歳でデビューして5、6年 経ったがまだまだこれからといったところ。ただ、根強いファンが一定数いるのは確からしい。彼女はここ数日図書館に籠って自作のプロット練っているとかな んとか、らしい。夢中になっていると食事も忘れがちになるのが唯一心配な点である。それ以外はまったくいつもと同じの平和な時間だった。

 その時、突然辺りが暗くなった。そしてほんの少しだが地面が揺れるのを感じた。

 建物内にも照明があるから真っ暗と言うわけではないが窓の外の景色がブラックアウトした。
真昼が突如として夜に切り替わったのである。あたりは騒然としたアリスの友人達はみな顔が真っ青になっている。十秒としないうちに停電が起こり建物内の照 明が消え空調までもが停止した。
突然の事に叫び声や悲鳴が聞こえてくる。2、3秒して非常電源に切り替わったがそれでもようやくお互いが見えるぐらいで薄暗かった。窓の外には何も見えな かった。暗さに目が慣れてくると友人達共々無事を確認する。こういう異常事態が起こった際の緊急避難マニュアルがあって学生達は職員に誘導されつつキャン バス地下に作られているシェルターに向かう事になっている。



 アリスは友人達となんとかパニック状態になりかねないのを理性で押さえ込んで通路に並んでシェルターに入る順番を待っている列に加わったが彼女だけは思 い直してその場を離れる。
「アリスーっどこいくのよっ?」友人の一人がアリスを呼び戻そうと声をかける。
「ジェシィ探してくる!先に中に入ってて!」そういうと駆け出した。
 彼女がまったくの一般人ならあまり褒められた行動ではない。姉のいる図書館でもここと同様の避難が行われているはずだからだ。しかし…今起こっているの はただ事ではない。そういう場面ならなおさらアリスとジェシィは共に行動しなくてならないのだった。
 アリスは走りながらポケットから携帯通信デバイスを取り出した。この時代の通信用コミュータににしてはやや大きい。通常の電話回線は…混乱してるのか中 継機器が落ちているのか繋がらない。そこで私用の秘密通信用の周波数で呼び出した。応答がすぐ返って来た。
『アリス?いまどこ?』ジェシィからである。
「大学の構内、うん。南側のホールから今、外に出るところ」
『わかった。すぐ門の前に回るからそこで拾うわ』避難する人の数はまばらになってきた。一人の職員がアリスに気づくとシェルターに向かうように呼びかけ た。
「ごめんなさーい!!すぐもどりまーす!!!」彼女を掴もうとする手を振り切って外に駆け出した。正面のエントランスのすぐ前に白いスポーツカーが入って 来た。ガルウイング型のドアが跳ね上がるとアリスは車内に飛び込んだ。すぐさまドアが閉まって密閉状態になり外部とは完全に遮断された。
「ジェシィ、何があったの??これってこのヘックスだけなの??」アリスは助手席に腰を落ち着けると運転席にいるジェシィに言った。ジェシィは車を発進さ せる。まだ避難する為に大学の構内に入ってくる人がいるからよける為に出足はゆっくりとしている。
「まだなんにも…だけどどうやらルナシティIII全体が大変な事になってるらしいわ」
「テロ?やっぱし?」
「うーんどうかしら?隕石なんてそうそう落ちて来るもんじゃないしね」
 幹線道路にようやく出たがあまり動いている車がいない。多くは直接道路から電力を供給されるタイプなのだ。内蔵バッテリーを持つ物もあるが自動運転に必 要な交通システムが落ちているので思うように動かせないらしい。それに街灯などの照明もすべて落ちてしまっている。彼女らが乗っている車は特別製で動力も 運転システムも完全に独立して切り離して動かす事が出来た。
「とりあえず、3号に向かうわね?」
「うん」二人を乗せたRX87Rは暗闇に止まっている車の間をぬって郊外へと向かって行った。

***

 ルナシティIIIにあるUNIVAC司令部も突然の事態に当初は混乱していたがようやく状況をつかみだしていた。突然の停電はこの司令部にも及んだがす ぐに非常電源に切り替わる仕組みになっていたのでそれ自体の影響はあまり大きくない。だが…状況はあまり明るくなかった。何者かが多重に架されているファ イルセーフをすりぬけてこの月面都市から生命線ともいえる動力を奪ったのだ。断片的に入ってくる情報からすると電力を供給するシステムがダウンしただけで なく同時に外部と内部から同時多発的に破壊活動が行われた可能性が高い。テロリストの犯行と判断したUNIVACは緊急事態体制を発令した。
「シティのライフライン復旧が最優先だ。だが復旧活動そのものに危険が伴う可能性がある」司令所で勤務中の入間が指示を出す。副官のエドワードが入間に向 けて言った。
「指令、旦那さんと娘さんは無事に避難したそう…」そこまで言ったが入間の視線が突き刺さって止めた。プライベートな情報は後回しにしろと言われるだろう と思いつつそれでもあえて言ったのだがやはり睨まれてしまった。そうはいっても家族が気がかりでは本当に必要な業務に影響が出ないとは限らないから怒られ ても報告はするつもりだった。
「動力系の専門家と警護する部隊が必要だ。確かメタルガード隊が待機しているはずだな?」
「はい、ワルキューレ隊です。出しますか?」
「当然だ。しかしこの都市の二重三重のファイルセーフすべてを同時にダウンさせるとは信じがたいが事実だ。専門家の方と連絡は着くか?」
「もうすぐここに到着します」エドワーズが答えた。
「ああ、それと」入間が振り返って彼に言った。口調はいくらか柔らかだった
「さっきの件、感謝するよ。だがまだ事態は予断を許さないのでね」
「はい」


「出動する。ワルキューレ隊、各自DおよびN,I,Rスペックで装備しろ」司令部から命令を受けたメタルガード、ワルキューレ隊隊長新田原は待機している アンドロイド達に向かって言った。 五人ともすぐさま行動を開始した。各自ナノメタルエンジンをロードアップしてPPG(プロテクトパワードギア)を装着 する。今回装備するのはそれぞれ異なった装備である。装備の換装には電力が必要だがUNIVAC司令部をはじめとする基地内の動力は非常時には独立して供 給されている。当分はエネルギーの心配はないものの巨大な月面都市に回せる程の余分はなかった。
 チームリーダーのセリナとランカは対テロ警備用D装備。あるまは特殊工事用のN、RDは情報収集用のI装備、いおんは救護用のR装備となっている。
 八輪の自走式コンテナ月面車に乗り込んだ一行は地下のゲートを越えてルナシティIII市内に入って行く。そこは今まで見た事がない闇の中の世界になって いた。月面車が放つヘッドライトと赤い回転灯の他には光がほとんど見当たらない。あったとしてもやはり緊急用の車両ばかりである。心なしか空気が冷たく なっているような感じがする。電力が切れたといっても急激に環境が悪化するわけではないが長い月の夜が進むにつれて事態はだんだん容易ならなくなって来る はずだ。
2ブロック南に移動すると形は違うが同じようなサイズの工事用車両が何台か止まっていて赤い誘導灯を振って合図して来た。司令部が手配した電気工事の専門 家達である。
「やっときたな?まったく何処のアホウかシランが余計なまねしくさって!」無精髭のごついリーダーらしい男が月面車の開けたドアから身を乗り出した新田原 に向かって怒鳴った。
「UNIVACの空間特機隊の新田原です、本件はテロ災害の可能性が…」さっと敬礼して脇から書類を挟んだファイルを手渡して署名を促すつもりでいたが、 男はそれを無視して仲間の男たちばかり五、六人と共に手に手に工具やなにやらをかかえてどかどかと月面車に乗り込んで来た。一気に車内がむさ苦しくなる。
「兄ちゃん、すぐに出しな、時間ねぇんだからさ!」さっきの男がまくしたてて言った。
「さっきも言いましたがテロ災害の可能性が高いので作業には危険が…」危険を伴う事態なのであくまでも民間人の彼らには任意での行動である事を確認してお くという規定通りの手続きを取ろうとした新田原だが途中で止めた。相手は既に十分承知の上なのだ。少し軽く咳をして続ける。
「他のチームの警護が必要です。この車両にはメタルガード隊員が2名、一台には3名回します。残りはUNIVACから追加の人員が後数分で到着しますので 合流次第行動開始して下さい」
「おぅ、そうしてくれや。ん?なんだ?若いネェちゃんばっかじゃないか?」
「彼女達はアンドロイドです、充分以上役に立つのは保証します」技師の疑問に自信を持って答えた新田原はワルキューレ隊に向き直って言った。
「セリナ、ランカは当車両で共に月面に出る。あるま、RD、いおんの三名はもう一つの車両に乗り中央ブロック地下のエネルギー制御区画に向かってくれ。誰 かが内部まで侵入している可能性もあるらしいから気をつけるんだぞ」
「了解!ワルキューレ隊、作戦を開始します!」セリナがぴしりと敬礼して隊は行動を開始した。





***


 FOXはヴェスタやシノブたちが次々に破壊活動を行なっていく一部始終をモニター越しに見守っていた。視点はルナシティIIIに張り巡らされている警備 用を含むネットワークのカメラ等である。時折例のクモ型ロボットの視点にもなるが映像を中継しているのははやり都市のネットワークのラインそのものだっ た。都市の電力がことごとく落ちているのに関わらずその神経系統のみ分離されたかのような状態で稼働しているのは不思議な感じがするものだ。
 いや、おそらく…そうではない。
あのヘカテと名乗った少女がなんらかの工作を行なっているのだろう。あの少女はいったい何者なのだろうか?人間…ではまずない。おそらくアンドロイドか何 かと思うのだがそれにしても外部からルナシティIIIのシステムに入り込み一部とはいえ掌握してしまえるような能力を持った人工知能などというものがある のだろうか?自分はこっち方面の専門家ではないがそうだとするとかなりとんでもない手合いである事ぐらいはわかる。
 それなら何故?という疑問も同時にわき起こってくる。それほどの能力を持った彼女が人間である自分を必要としたのだろうか?プロの雇われテロリストとし て彼が行なったのはこの計画の大まかな立案だけだった。前回の事件でテロ組織”アースライト”の残党の依頼を受けた時にエネルギープラントを攻撃する可能 性も検討したが依頼主に技術力も力もなかったのでこのアイデアは彼の内でも速い段階で没になっていた。そしてヘカテは彼を助けた代わりにルナシティIII に人間が住めなくなる方法を提案するように言って来たのだ。FOXはまぁやれるもんならやってみなさいな、という気持ち半分でアイデアを出してみた所、 あっさり採用されてしまった。そしてどうやらこの連中にはそれをおこなう能力も手段もあり今まさに実行しつつあるのだった。
 FOXはちらりと後ろを振り向いた。広いホールのような部屋の中央、一段高く上がった所のそのまた中央に背もたれの長い椅子があって今の依頼主であるヘ カテがずっと座っている。その椅子からは大小様々のケーブルやパイプが出ていてその先は床の下へと繋がっていた。彼女は依然として冷たい表情で無言のまま 正面を見据えている。FOXはふと目が合いそうになって視線を前に戻した。どうもあの冷たい目はあんまりぞっとしないものだ。モニターの一つが切り替わる となにやら月面車らしき車両がエアロックの中から出て行こうとしている。側面にはUNIVACのロゴが書かれている。どうやら敵も動きだしたようだがどう する?再びヘカテの方を見ようかどうしようかと思っていると彼女の方から命令が出て来た。
「敵が動き出した。シノブ、お前は外に出てやつらを蹴散らせ。ヴェスタはそこに留まってその場所を死守せよ」
『了解した』
『わかった。どんな奴が来てもやっつけてやる』
二人から応答があった。とりあえずこの二人と対峙する相手はあんまりツイてないのは確かだなと彼は思った。




***

 ルナシティIIIの西のはずれの貨物港のまたはずれの通称”ジャンクヤード”にジェシィとアリスの二人を乗せたRX87Rが到着したのは事件が起きてか ら一時間近くたっていた。もちろんこの車の性能だともっと速く到着出来るはずだったのだが都市が全く麻痺した状態の暗闇の道路を事故を起こさないように走 り抜けて来るのは大変な事だったのだ。ジェシィは目的のサリー&マーリン整備工場の近くに来るといつもとは違うルートに車を入り込ませた。狭い剥き出しの 岩盤の路地を抜けた先は古ぼけたシャッターが一つ。そのシャッターは車が近づくとぼろい質感に全く似合わない速さで上に開くとその先にフレームと金属ネッ トで囲われた別の空間が現れた。
 ジェシィがRX87Rをそこに滑り込ませると開いたときと同じ速さでシャッターが閉じた。
それはエレベータになっていて車ごと数十メートル降下する。着いた先には前方に通路が開いていてジェシィはその先に車を進めた。少し走ってまた別の空間に 車は収まった。後ろの扉がしまるとその空間の照明が点灯する。見る人が見ればそれはすぐに宇宙船のエアロックだとわかっただろう。ともかくジェシィとアリ ス、一緒にいたペットロボのPICOともども車から降りるとエアロック端にあるリフターに乗り込んだ。何階層か上がりそこは宇宙 船のコクピットへ入っ た。ジェシィはパイロットシートに滑り込むと慣れた手つきで機器を操作し始める。
『ジェシィ、事態は深刻みたいだがとりあえず5号と回線を開きますよ?』人工知能のチャーリーがあいさつ抜きで問いかけて来た。返事を待つ事無く回線がす ぐに繋がった。
『SA5号からSA3号へ、ジェシィ?アリスも無事なのね?よかった』モニターに映ったのは長い黒髪の若い女性で美人だがその瞳は知性にあふれている。だ がその表情はやや硬かった。
「グレースお姉さん、どうにかここまでたどり着いたんだけど状況は全くわからなくて」
 ジェシィは街の様子を手短に説明した。それに対する彼女の姉、グレー スの返答は意外な物だった。
『ルナシティIIIを襲っている事態がテロなのは確かよ。でもそれはバイオテロで正体不明の伝染病が発生してパニックが発生し暴動が起きてエネルギー供給 を含めた街の機能が全く麻痺してしまっているらしいの』
「ええっ!?それ全然違うんじゃないの?私が見たのとは違うよ?停電がはじめに起こってから混乱が始まったんだし、今の所パニックとか暴動とかそんなの見 た事なかったわ?」
「本当です!おねぇさま、暴動なんて起こってません。少なくとも私たちが見た範囲では」
隣にいたアリスがたまらなくなってアンダーソン家の一番上の姉に向 かって言った。
『わかったわ。もちろんあなたたちの話は信じています。だけど声明が出ているの。バイオテロをルナシティIIIで起こしたって。これが本当なら…』グレー スは少し口ごもったが続けた。
『救援活動が大幅に遅れるのは確かです。すでに連邦軍は出動していてそこから脱出しようとしている宇宙船がいないか見張っています。場合によっては撃墜さ れる可能性すらあります』
「そんな!伝染病なんてそっちの方がデマだわ!?」ジェシィが反論するが完全にデマだという確証もない…宇宙都市において伝染病だのバイオテロだといった 事案は神経質なまでに恐れられている。情報が錯綜したあげくに混乱が生じて何が本当で何が嘘なのかだんだんわからなくなって来る場合だってありえるのだっ た。
『以前の私たちだったら…』モニタ越しのグレースがうつむき加減に言った。
『どんな状況だったとしても動く事が出来たのだけれど、今は状況が変わってしまったから…』
「うん。それは知ってるよ今の私たちは特別NGOだからね。ネオホンコン条約は無視出来ない」



 実は彼女達一家、アンダーソン家は秘密の顔があって以前から私設救助隊として活動していたのである。主要なメンバーは五人の姉妹達で構成されておりジェ シィとアリスは四女と五女で今はこのスターエンジェル3号と呼ばれる宇宙船をまかされている。三年前までは派手なぐらいに自然災害や事故で出動して活躍し ていたのだがテロリスト達が起こしたテロ災害の被害を食い止めたが故に逆恨みを買い陰謀にはまって月面にあった秘密基地を追われるはめになってしまったの である。だがその追いつめられた一家を助けるべくかつての恩を忘れなかった人々が互いの利害を超えて立ち上がったのである。そのおかげで一家は救われ世界 はほんの少しだけだったが一つになったのだ。そしてその事がきっかけで新たに世界を守る組織を作ろうという事になった。その取り決めがネオホンコン条約で ありそれに従って設立されたのがUNIVACであり星間救助隊スターエンジェルスはそれまでバックアップして来たパトローゼ財団の擁護のもとで特別NGO として秘密組織なまま活動を認められる事となった。とはいえあくまでも条約に関して遵守しなければならないという条件がついたわけである。
『その上、具合の悪い事にスージーとバーニィは今2号で火星に行っていて今から駆けつけてもそれなりに時間がかかってしまいます…だけど』グレースの瞳は まっすぐ前を見ていた。
『私はあなたたちを絶対に見捨てたりしないから…ジェシィもアリスも二人とも、みんな大事な愛する家族だから.何があっても私だけでも助けに行きますから それだけは信じていて』
「あう…グレースお姉様…」長女のグレースを尊敬して止まないアリスが感動して涙ぐんだ。
『まぁまぁ…グレース、そんなに力まなくってもいいから』モニターの奥でソファに座って編み物をしている上品そうな初老の女性がグレースの肩越しに穏やか な口調で言った。
『今はUNIVACがいるんでしょう?ルナシティIIIはそこのお膝元だって言うし。そこが動いて本当にダメだったらそのときはウチの出番って事じゃない かしら〜?』
『はぁ…ママったら、またそんな楽観論を…本当に科学者なんですか?』グレースはさすがに呆れて言った。一家の母親は優秀な科学者ではあるのだがややマイ ペースな所があって一見危機管理に関してあまり向いてないような感じがあった。そうではあっても一家に関して最大の決定権があるのも確かであるしその判断 は往々にして誤った事はほとんどないのだった。
『わかりました、それじゃ私たちスターエンジェルスは現状のまま待機します。ジェシィもアリスも情報は漏らさず送って来て下さい。それと各当局に対しての 誤解を解くような工作も必要かもしれないわね?ママ』グレースは母親の方に振り向いて言った。
『ええ、まぁそれはまかしてちょうだいな。もっともパトローゼの坊ちゃん頼みだけどね』
 通信が終了するとジェシィは少しほっとしたのかどっと疲れが出たのかシートに崩れるようにもたれかかった。
「はぁ〜とりあえずも何もスターエンジェル3号は飛び立つ事も出来なくなったわけで…」
「太陽系に名を轟かした星間救助隊が連邦軍に撃ち落とされちゃまずいしね…」アリスも脱力した。がんばってここまで来たが今の所彼女達の活躍する場面はな さそうだった。
「ママの言うようにUNIVACに期待しますか…」ジェシィが上を向いてつぶやいた
「あーそういえば、UNIVACってさ」アリスが思い出すように言った。
「いおんちゃんが働いてるんだよね…大丈夫かな?彼女?」
「大丈夫でしょ、なんたってアンドロイドだし」
「まーそうなんだけど」

***

「はぁ?伝染病?そんなの聞いてないぞ?声明文?なんだ?それ?エドワーズ、病院関連の情報はどうだ?重病患者は多発しているのか?」
 ルナシティIIIのUNIVAC司令室でチーフの入間は声を荒げた。事件が発生して何時間か経過しているが未だもって情報が混乱しておりここに来てバイ オテロなんていう話も出て来た。地球圏で放送されているTVニュースによると宇宙開発に反対する環境テロ組織が新型の病原ウイルスを入手したらしい。何者 かの通報により連邦警察に逮捕された幹部クラスのメンバーの持っていた情報端末にその旨が記されていて専門家の分析では事実である可能性がかなり高いと言 う。そしてルナシティIIIの今回の事件が発生。間髪を置かずにすぐさま件の組織の別のメンバーによるバイオテロの犯行声明文が発表されたのだ。そのあお りをまともに食らって当初救援を出す予定だった連邦軍も急遽方針を変換して病原体が広まらないようにする為にルナシティIIIを完全封鎖する事に決定した のだという。ルナシティIIIの市長も他の月面都市に救援を要請したのだが事情が事情なだけにすべて拒否されてしまったらしい。
「病院もどこも機能が麻痺して正確な所はわからないのですが今の所…避難中につまづいて足を捻挫したとか停電による暗闇で頭をぶつけたとか…そんな報告は いくらかあるようですが…」副官のエドワーズがさっきの入間の質問に対して答えた。
「十分正確だよ、それは。伝染病の発生なんてそんな一分一秒で大量に出るもんじゃないしな」
もちろん断言はできないが…。それにしても今回の事件は手が込みすぎている。一つだけ確かなのはこのまま何もしないでいると確実にこの街は壊滅してしまう だろうということだ。人類が誇る月面都市などといっても宇宙と言う過酷な環境の中では脆い存在でしかないのだった。
「ワルキューレ隊の方はどうか?」入間は通信班に状況を問いただした。今は彼らが頼みの綱だ。
「もうすぐ現場に到着します。現在二班に分かれておりシティの内と外で民間技師チームの警護を行なっています」
「そうか…彼らを信頼してはいるがやはり絶対的な数が足らんな。エドワーズ、先に出したSSDとジャンヌ隊は呼び戻せないのか?」テロリストのFOXを護 送中に何者かに拉致された件で出動したスペースセイバードッグとメタルガードの合同捜査隊の事である。
「いえ、それが…北極付近を捜索中に航宙軍が接触して来て現在彼らの監視下にあります…」
「なんだって?!それを何故早く言わない?」
「たったいま情報が入って来たんですよ!メタルガード隊はともかくSSDは人間ですからね。ルナシティIIIにいたんなら病原菌を保菌している可能性があ るから検疫をするとかしないとかいってもめてるんですよ!」
「がーっ!!!馬鹿か!!!あいつらは!保菌がどうこうなんて関係ないだろ!ここにいた奴がそのまま帰って来たんなら同じじゃないか!エドワーズ、ここを 頼む。上層部に直談判してあいつらを返してもらうように言ってくるからな!」入間はもうぶち切れ状態で司令部を出て行った。残されたエドワードは少し焦っ たがともかくやれることをやるしかなかった。


***

 新田原とセリナ、ランカは月面車でルナシティIIIの外壁沿いに月面を移動していた。月の夜は完全な暗闇の中というわけではない。表側<アースサイド> では常に宙天に地球がかかっていて青い光を放っている。反射能は0.39だから一番満ちた状態で満月の五倍強の明るさになる。とはいえやはりそれは冷たい 光で太陽のエネルギーの持つ力強さはない。彼らはまだ知らされていないのだがその冷たい光同様母なる地球は彼らを見捨てようとしつつあったのだ。月面車の 運転席に座っている新田原はふと月面車の窓から地球を見た。
「地球かぁ…ずいぶん長い間帰えってないなぁ、兄ちゃん故郷の女でも思い出してんのかい?」作業用宇宙服に身を包んだ技師班のリーダーの男が隣の席から 言った。名前はガン ゲル・ガルジャンとかいって見た目まんまの厳つい響きである。
「いや、そんなものいやしない。それにあそこにはあんまりいい思い出はないしな」
「そうか、そりゃ悪かった。ま、ともかく締めてかかろうぜ」ガルジャンは立ち上がってヘルメットを手に取った。やはり無骨な機能優先の代物である。
 月面車は目的の場所に到着した。月の表側に面したラグランジュポイントにある太陽発電所から供給されるマイクロウェーブを受信するアンテナに繋がってい る施設なのだが機能が停止してしまっている。見ると建物の側面にいくつかの大きな穴が開いていた。明らかに破壊活動の跡である。このせいで本来送られて来 ているはずの電力が街に届かないのだった。
『よし、てめぇら。いくぞ』ガルジャンが指示し宇宙服に身を固めた男達が外に飛び出そうとするのを開いたエアロックの扉の前でセリナが立ちふさがって制止 した。
「待って下さい!まだ何者かが中にいる可能性があります.私たちが行って安全を確保します!」
『おい、嬢ちゃんたち!こちとらそんな悠長な事してる暇なんざねぇんだよ!!こうしているうちにもだんだん街は冷たくなって、しまいには凍り付いて死の世 界になっちまうんだ!』いらいらしながらガルジャンが怒鳴る。
「いいから待てって言ってんだよ!これはあたしらの仕事だ邪魔はさせないよ!」ランカが凄みを効かせてタンカを切った。こういう相手は理屈じゃ聞かない、 強く言った物勝ちなのである。
「おっちゃんらがプロならあたしらもプロだ。安全を確認して確実に最高の仕事が出来るようにしなきゃならないんだ!わかるだろっ?そのぐらい!」
『…わかった!早く行けっ!ぐずぐずしてると何が居ようがおかまいなしに突っ込むからな!』
「了解!まかしとけって!」



 ランカがウインクするとセリナ共々外に飛び出した。月の弱い重力下でジャンプして背中のスラスターを噴かすと滑るように二人は月面の上を移動して行く。 手にはすでにリニアライフルとハイメタルシールドを構えて予想される危険に備えていた。頭から長い耳のように突き出ているセンサーは既に中に何者かが蠢い ているのをキャッチしている。そこにいるはずのない微弱な電磁波と熱源を捉えていたのだ。セリナが先頭、ランカがバックアップで壁に開いた大きな穴から建 物内部に突入する。中は暗いがアンドロイドの二人には関係ない。天井に開いた穴から地球の青い光が漏れていた。闇の中に赤い光が見え続いて本体が二人の前 に姿を現した。
 それは巨大なクモ型のロボットでゴツい八つの手足を動かし襲いかかって来た。頭部に小型のマシンガンが内蔵されていて二、三秒二人めがけて撃って来る。 セリナたちはサッと両脇によけながらライフルで頭部にあたる部分に狙いを付ける。だが駄目だ、ここでは周りの機器を傷つけてしまう恐れがある。敷設に加 わったダメージは最小限に抑えねばならない。二人はすぐさまこいつを外に引きずり出す算段に出た。セリナは素早くライフルを背中のウェポンラックに収納す るともう片方のラックを開いてそこから収縮式のロングナイフを引き出した。高周波ナイフとレーザーカッターを内蔵しているメタルガードの接近戦用の装備 だった。セリナはシールドを構えてクモ型のロボットめがけてロングナイフで打ちかかった。一方ランカは建物の外に出るとライフルを構えて射撃の体制に入っ た。クモロボットはセリナに銃弾を浴びせてくるがシールドで防いでいる上、そもそも強化されたアンドロイドに対人用の小口径弾なぞ通用しない。隙を見て一 撃二撃とすばやくロングナイフを頭部めがけて打ち出す。装甲が分厚いのか表面に傷を付ける事しか出来ない。
 セリナは左に回り込むと姿勢を低くして一番前の脚の一本をなぎ払った。第二関節部で切断して人間の胴体よりゴツい足先が床にゆっくりと転がった。二 番目の脚ももぎ取ろうと素早く構え直したセリナに対してそいつは図体に似合わない速さでくるりと向き直った。頭部の顎にあたる部分が開いて電磁カッターら しき物が飛び出して来た。ここの壁に大穴を開けて中を荒らしたのもこれを使ったのだろう。セリナの方を向いた際ロボットクモの尻の部分が壁に開いた穴から 外にはみ出たのをランカは見逃さなかった。そこをめがけてリニアライフルの超高速の弾丸をたて続けにぶちこんだ。着弾の衝撃でクモの体はゆらいだがやはり 装甲が固く外板がいくらかへこんだだけだった。顎に搭載されたカッターが赤く発熱しだしセリナに攻撃をかけようとにじり寄ってくる。彼女は身を低くしてス ラスターを噴射してクモの体の下を滑り込んですり抜けた。 ロボットクモはまたもやくるりと身を返して二人のいる穴の外に向き直ろうとしたが突然バランス を崩して傾いた。セリナがいた側の左の脚三本が絡まるようにもつれて上手く動かないのだ。それでも残りの反対側の脚を使って引きずるように外に体を出すと 二人を威嚇するように電磁カッターのある顎を閉開させた。セリナはすり抜ける際にカーボンナノチューブ製のワイヤーを延ばして脚に引っ掛けたのだった。



「私が背中に取り付く、ランカは自由な方の脚の関節を狙ってくれ」
「あいよ!まかせときな!」
 短いやり取りだがそれでお互いの行動はすべてわかっていた。セリナはジャンプすると空中でくるりと一回転してロボットクモの背中にぴたりと着地した。す かさずロングナイフを胴体の関節の継ぎ目に突き立てる。こいつの装甲の厚さは軍用の兵器としか思えないがこんな形の自動兵器を採用している国は見た事は無 い。少なくとも現代にはない。装甲板は軽さと頑丈さを両立させる為に多重の合金板を積層させる物になっているようだ。高周波のブレードの刃先を何度も突き 立てていくとだんだん傷口が広がっていた。クモはセリナを振り落とそうともがいたがそこに近づいて来たランカが大胆な程の至近距離で脚の関節の付け根を 狙ってリニアライフルの弾丸を叩き付ける。クモはランカにも襲いかかろうとするがさっき絡まったワイヤーの為に上手く動けなくなっていた。 セリナはロン グナイフのレーザーカッターを展開させ首の関節の傷口にあててスイッチを入れた、まばゆい閃光が走って金属が溶け出した。それと同時にクモの脚が二本、三 本と銃撃で吹き飛ばされ、同じタイミングでロボットクモがくずおれその頭部が切り離されるとそいつは完全に機能を停止した。

『やったか!?』
『おお!すげぇぞ!?嬢ちゃん達…つぇえなぁ!』
 事の成り行きを月面車から見守っていた新田原と技師のガルジャンたちがエアロックから飛び出して来た。セリナはもう一度建物の中をチェックして危険がな いかどうか確かめる為に入った。ランカはライフルを手にしたまま作業員達を警護する任務に取りかかった。と、そこに何かが近づいてくる微かな反応を感じ た。レーダーに引っかからない程低い所を地面すれすれに近づいてくる…
速い!なんだ?こいつは?!
「みんなふせろ!!別の奴がこっちにやってくるぞ!!」

 ランカはライフルを構えて建物に向かって行く途中の男達に向かって無線で怒鳴った。相手はそんなに大きくはない…ちょうど人間ぐらいのサイズだった。ラ ンカは相手の意図を確かめる時間はないと判断して即行射撃を開始した。敵意がなければこの状況でこんな近づき方はしないからだった。一発、二発、三発…高 電磁圧で撃ち出された凶悪な弾丸は邪魔する空気も無く下に引っ張る重力も低い月面で弾道がぶれることなく目にも留まらない速度で迫ってくる黒い影に襲いか かった。だがそいつはジグザグに高速移動して難なく全ての弾をよけるとランカ達の前で急制動をかけた。ちょうどその正面にいた作業員の一人が驚いて脚を ひっかけ勢いよく転ぶと宇宙服のフェイスプレートが月面から突き出ている岩にぶつかってひび割れた。その男は突然の事態にパニックになってわめき散らし た。フェイスプレートが壊れて空気が抜けると減圧であっという間に死を迎えるのだから無理も無い。
 ランカの前に現れたそいつはひらりと身を翻すとさっき破壊されたばかりのロボットクモの上に降り立った。すらりとした体型の若い女で全身が黒いレザーの ような服で覆われていて首と口元を大きなマフラーで隠している。緑の髪に赤い瞳の鋭いまなざしでランカを見据えている。宇宙服などは着ていない。この娘も おそらくアンドロイドなのだろう。だがどこか…どこかははっきりしないのだがセリナやランカ達とは何かが違っていた。背中には長くて幅の広い十字形の剣を 背負っていた。彼女はそれを引き抜いてランカに向かって突きつけた。剣の鍔にあたる部分から横には幅の広い刃が伸びている。事態を既に把握しているセリナ も建物から出て来てその後ろの方にやってきている。さっきフェイスプレートをぶつけた男は仲間にかかえられて月面車に運ばれ新田原が保護したようだ。泣き わめく声がずっとしてたのだがひびが入っただけで幸いにも空気が抜ける所までいかなかったようだった。



「すまないな…おまえ達に恨みがあるわけではないが、我々を妨害する者は容赦しない」
相手は共通回線を使ってささやくような低い声でランカに言った。
そしてロボットクモの残骸から地面に降り立つと 両手でゴツい剣を構えた。
ランカはライフルを捨てると背中のウェポンラックからロングナイフを引き出した。
「どうせあと一発かそこらしか撃てない。再装填する暇を許してくれる相手じゃなさそうだしな」
「ランカ、私が援護する…」
「あんたはみんなを守ってくれ。こいつを倒すのはあたしの仕事だかんな、手を出すなよ」
「しかし…」
「いいから、ここはまかせてもらうぜ!」ロングナイフを構えてランカはにじり寄った。警護するのが任務なのに目の前でまんまと一人傷つけられたのだ、それ を許すわけにはいかなかった。
『セリナ!気をつけろ!左前方にまた別の奴が現れたぞ!』新田原の声だ。見るとさっきのと同じタイプのクモロボットが別の建物の影から現れて来た。それも 二体は少なくともいる…
「みなさん、こっちの中に入って下さい!ここは私が守ります!」セリナは男達を促した。どのみち中で作業しなければならないのだ。ガルジャンは何か言いた そうだったがさっきの戦いぶりを見ているのでここは信用するしか無かった。
『嬢ちゃん、セリナっていったな…頑張ってくれよ、オレたちも頑張るからな!』
「はい!よろしくお願いします」セリナはライフルを再び取り出した。向こうではランカと謎のアンドロイドとの戦いが始まっていた。




***

 一方あるま、RD、いおんの三人は技術者たちと月開発管理公社の作業車に乗りルナシティIII内の中央ブロックに到着、地下の動力ブロックに通じる大き なエレベータの前に来た。技術者のリーダー、アンネ・ゾフィーネ・ムルタは五十代のベテランでエレベータの電源回路に取り付くと非常用発電装置を起動し た。エレベータの扉が開き作業車が中に入って行く。いおんは窓からいつもであれば見えているはずの市街がある暗闇の方を見ていた。あそこにはセントラルタ ワーがあるはずだが闇に包まれて今は見えない。いおんはあそこに登ったときの事を思い出していた。あの男…FOXが今回の事件と関係あるのだろうか?セリ ナはその可能性は充分にあると言っていたがどのみち彼個人だけで出来る仕業ではない。すでに気温は低下を始めているのか人間たちの吐く息が白くなりはじめ ている。空調が止まっているから酸欠になる可能性もあり酸素マスクも必要になるだろう。
 エレベータは作業車を乗せて降下しはじめた。この街を支える心臓部である核融合炉は地下300メートルにある。運転は全て自動化されているので普段は中 央管理センターから管理しているだけである。だが都市の停電以来その管理センターからの制御を受け付けなくなっている。故障や単なる破壊ではなく何者かが システムを乗っ取ってしまっているのだという。エレベータはエネルギー分配システムのある階に止まって扉が開いた。そこで待ち受けていたのは無数のガード ロボットだった。 人の背丈程の高さで丸く平たい胴体にタイヤの付いた四本の脚、本来は施設のあちらこちらに散らばっているはずなのだがなぜか今はここに 集まって来ていた。頭のように突き出ているセンサー部が赤く点滅して警告の言葉をを発していた。



『警告、警告、警告。ここは許可された関係者以外立ち入りが禁止されています。速やかに退去しない場合強制的に排除します。繰り返します…』ロボット達は 少しずつにじり寄って来た。
「馬鹿な!この車両で行けば難なく入れるはずだ、管理権限がなくなっている…?」
「姐さん、ヤバイですよ!ここから一歩でも中に入ったらやつら撃ってきますよ?」
 事態の異常さに技師たちは慌てはじめた。
ガードロボットの体からレーザーガンのデバイスが飛び出して来た。通常であれば侵入者だからといって即撃たれるわけではない。ここは既に敵のただ中といっ てよかった。しかしここを通らなければシステムを復旧する事はできない。ロボット達はだんだん距離を縮めはじめて来た。


 ***


 ツォルコフスキー大学の地下にある非常用救難シェルターには学校関係者だけでなく付近の住民も避難するように割り当てられている。一人の幼い少女は母親 に連れられて入って来た。少し凍えているがいるが無理もない、気温が低下して一桁台に既に下がっている。この街の気候は多少の変化はつけられてはいるが大 体一定に保たれているから冬物のコートなど普段は必要ない。
赤い非常灯のみがついている薄暗い室内には大勢の避難民がうずくまっていた。その中から一人の女性が出て来て、毛布をその親子に差し出した。
「これ使って」三十手前の優しい笑顔の彼女--千歳はいおんがいつか会った小さな店の店主だった。
「ありがとうございます、それにしても一体何が起こったのかしらね…」吐く息が既に白い。
「ううん、今の所はまだなんとも。ねぇもうちょっと側に来て」千歳は少女に寄り添った.母親との間に毛布にくるまって挟まる形になった。
「もう少し温度が上がらないかしら…?」丁度通りかかった大学の職員に千歳は尋ねた。
「そうしたいのはやまやまなんですがね、室内の酸素を循環させる方が重要なんです。外のドーム内の酸素量はまだまだ大丈夫なんですが発電に燃料電池を使っ ているもんで」それだけいうとその場を離れた。ドーム内には酸素を供給する為に機械を使った施設と木々などの植物が植えられている。電力と光が断たれてい るからそのどちらも機能していなかった。今非常用電源を作動させている燃料電池は酸素を消費する…こうしている間にルナシティIIIは冷えはじめ、徐々に だが確実に死の街に近づきつつあったのだ。



第十話、了(つづく)
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