第一話「月の街のいおん」
 
  その「日」も「朝」が来た。窓から柔らかな光が入ってくる。
朝、といっても実は人工的に区切られて作り出された24時間の内の半分の闇と光に過ぎない。
  なにせこの世界の本当の一日…自転時間…は27日と7時間だから地球の暦に合わせて生活時間
が運用されている。 もっともここでの太陽は人工的な照明で空に見える部分も密閉された空間
の天井部分 に過ぎなかった。
  ここは”晴れの海”の北西にある人工都市、ルナシティIII。
月にある7つの月面 都市の一つだ。 月面…というより実際はほとんど地中に作られている。  
 彼女はベッドの中で眠っていたのだが目覚ましをセットしたオーディオ装置が作動してさわやか
な音楽を奏で始めた。 すぐには起きず軽く寝返りをうつ。まぶたが少し開いてつぶらな瞳をのぞ
かせる。 小さな右の手がふとんの中から出てくると目をこすった。まだ眠たそうである。
 「あぅ……………」
 …あれは夢だったのか?本当に起きた事なんだろうか?
意識と感覚器官を通してくる いろいろな刺激が十分に統合されていない状態ではそれすらあいまい
な感じがしてならない。
 体内時計をチェックする。こんな時間だ、起きなきゃあ…と思って上半身を起こした。

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 薄緑色のパジャマを着ている。赤い髪に青い瞳、小柄で見た所まだ子供、せいぜい十二、三歳ぐらい
の少女に見える。 パジャマの裾からのぞくかわいらしい足首がベッドから降りて来て床下のスリッパを履く。
 そのままぺたぺた歩き出して部屋を出るとキッチンに入る。冷蔵庫のドアを開けると中からFR403という
銀色の500ml紙パックを取り出して開封、そのままごくごく飲みだした。半分ほど飲んだ所でパックを
テーブルに置いて棚を開けるとやはりそこからGM-4Fと いうナンバーの銀色の箱に入ったシリアル状の
フレークを開けて皿の上に盛りつけた。 そこにさっきのFR403を注ぎスプーンですくって食べ始めた。
見かけはコーンフレークにミルクをかけて食べるごく普通の朝食なのだが実態は合成エネルギー食品と
いうもの で味は悪いというほどではないが毎日こればっかりなのはご免こうむりたい代物だった。
 原料は水耕農場で生産されているもので安価なのが最大の特長だった。 彼女は別に貧しいからそんなもの
を食べているわけではない。 ただ自分は居候なので遠慮しているだけだった。
実のところエネルギー変換の効率がいい という部分もあったりもするのだが。

 彼女の名前はいおん。蒼間(そうま)いおんという。古い形式ナンバーではRGM179-QR29。
それは伝説のメーカー、Machine Angel Create社の 生み出した初めて人間に最も近い心を持つ
ようになった少女型家庭用アンドロイドのごく 初期のタイプだった。それから何十年か過ぎ彼女
らアンドロイドにとって辛い時期を乗り 越えて新しい世代に入りその後いろいろあって生まれ変
わった。今の形式ナンバーはRMS 179-QRX29c。かつて彼女の仲間は大勢いたのだが今はおそら
く余りのこっていない。 いおん"iEon"、という名前は元々は開発時から使われている愛称みたいな
ものなのだが 彼女の最初のマスターはそのまんまなんのひねりもなく名前にしてしまったものだった。
 皮肉な事に今となっては数少ない「いおん」タイプの証になってしまっている。

  もちろん機械であるからにはいつかは壊れる。世代が変われば部品の互換性も失われ多額の費用
と手間暇かけてまで旧式を整備修復し使い続けるメリットもなくなっていく。 普通の機械であれば
それで買い換えを余儀なくされる。が、アンドロイドというは大抵 このケースにあてはまらない場合
が多い。疑似とよばれてはいるものの人格を持ち心も 感情ももちろん記憶も〜人間たちと過ごした
様々な思い出を〜持っている存在だから家庭に入ったアンドロイドたちは文字通り家族の一員とな
ったものだった。最初の世代の 開発生産が終了しても車のように新しいタイプへの買い換えは進ま
なかった。 メーカーは方針を変更して次の世代の体に記憶と人格を乗せ変える事を可能にした。
 もちろんそれが望まれない場合もあるにはあったが即スクラップというわけではなかった。
そのぐらい彼女らは大抵は人間に愛されて来たのだった。

  いおんは機能を停止したまま長い間宇宙を漂流していたのだという。そこを最近になって発見され
回収されて現在の技術で甦ったわけだが長い間の漂流の影響で太陽風による放射線被曝その他の理由
で電脳の記憶素子の一部が破損して再成できなか ったらしい。そのため過去の記憶が抜け落ちてしま
っている。自分の名前以外でかすかに 覚えているのは昔は以前のマスターと地球で暮らしていたら
しい事、それが彼女にとって 幸せな時期であったらしいということだ。
 今は一ヶ月ほど前から新田原優伍(にゅうたばるゆうご)という男の家に居候している。
 彼は三十代独身でUNIVACという組織の一員であり宇宙を漂流している彼女を回収した本人であった。   
 UNIVACというのは詳しく説明すると長くなるのだが宇宙とその周辺を警護・治安・救命などの活動
を行う公的組織の事で一般的な表現でわかりやすく言うと宇宙パトロールといった所が一番近いのだろ
うか?  この家もUNIVACの官舎の一つだった。家主の優伍という男は無口でぶっきらぼうな感じ だ。
 2、3日から一週間以上仕事で家を開けていたと思えばふらりと深夜に帰って来て翌日は昼過ぎまで
寝ているといった不規則な生活をしている。いおんにはこの男の事がさっぱりわからなかった。
ただ彼自身はいおんと暮らす事を悪く 思っている訳ではないようだしいおんの方も不快に思うような
タイプではなかった。 とりあえず彼女はこの時代になじみながら得意の家事を行っていく事にした。

  食事の準備、掃除に洗濯といろいろ家事というものはあるのだがこの時代かなりの部分が完全自動化
可能になっている。なっているわけですべての人がそうしているわけではない。そしてこの部屋の住人
は後者だが几帳面というわけではない。滅多に家に帰ってこないせいで家がただ寝るだけの場所になっ
ているせいだ。 先日などは衣類が多数ゴミ袋に詰められていたので出勤間際に聞いてみるとランドリー
に 送るのが面倒なので捨てるつもりだったから勝手に処分しといてくれとか言っていた。
  ちょっとあきれたが、まぁいいこちらで勝手に「処理」しときますかって事で洗濯することにした。
月面都市の人工的な光の中ではあったけれどやはり洗濯物を干すのは気持ちがいい。
 とはいえやはりメイドロボとしての自分の役割はそんなに大きくはないなぁ…と思う事が多い。
  彼が三日後に帰って来たときにそのことについて訪ねると意外な反応が返って来た。
 「何をしてもいい、お前のやりたい事をやれ」と。どう生きるのか自分で決めろというのだ。
  アンドロイドにこんな事を言う人間がいるというのは驚きだ。いや、そうではない。
 かつて同じような事を自分に対して言われた事があった。それが誰だったのかいまいち思い出せない。
おそらく失われた記憶の中にはあったのかもしれないが。

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 そんなわけでいおんは新田原優伍という男の事をもっと知りたいと思った。
 今の状態はあまり親密な関係ではなく一緒に住んでいるというだけで彼の事をマスターと呼べるまで
にもいっていなかった。人との関係で食べ物で釣る、というのは単純だが案外 有効な手である場合も多い。
 とりあえず全自動で作られるメニューではなく市場に直接出 かけていって直接食材を入手し料理を作っ
てて食べてもらおうと思った。そのためには、 まず出かける事だ。あらかじめ渡されていたこの地区一帯
の地図を持って外に出た。 それによると自然農法で栽培された野菜を販売している店が案外近くにあるら
しい。 近くといっても道順はかなり複雑な感じだ。彼女の住んでいる区画の裏手はだいぶ入り組んで複
雑でアップダウンがあったりくねくね曲がっている。計画されて建設されているはずなのにあきれるほど
ごちゃごちゃな 区画になっている。まるで迷路に迷い込んだかのような気持ちになって来た。
  ひょっとして何度も同じところを回ってない?と思ってポケットから地図のデバイスを出す。
位置情報も参照してようやく行くべき方向がわかった。
 後でわかった事なのだが狭い月の街ではあるが複雑に入り組ませる事で住民の運動不足を解消させたり
閉塞感を緩和させたり出来るのだそうだ。緊急時(隕石の衝突など生命 維持に関わる事態)の際には
問題ないように所々避難させるシェルターや脱出ルートがあって普段は巧妙に隠されているらしい。

 
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 ようやくたどり着いたのは木造瓦屋根の平屋で道路に面している部分が全面ガラス戸になっている。
 「ごめんくださいー」いいながら開けると誰もいない。 中にテーブルや棚があって野菜がざるに入っ
ておかれている。料金は真ん中においている箱に投入するという無人販売形式だった。
 正面の壁に白い招き猫が置いてあって瞳がきらりと光る。おそらくカメラでもあるのだろうけど自分
には関係ない。どのみち正直に支払うだけだったから。野菜を買い込むともうしばらくこの辺をぶら
ぶら見てみたいと思った。 なんだか懐かしい昔の地球の古い下町の感じがする。道が急に狭くなったり
階段が続い たり石畳の道に出たりと一日ではみんな回れそうもなかった。 歩いていてふと一軒のおしゃ
れな店の前で立ち止まった。 ショーウインドウのかわいい服にしばらく見とれてから中に入ってみる事
にした。

「いっらしゃーい。あら、あなた」
奥で本を読んでいた女主人が声をかけてくる。
 「珍しいね、あなたアンドロイドさん?」
 30手前ぐらいだが割と美人でおっとりしたやさしそうな人だ。
 「あ、はい。すみませんすぐ出ます」
 「いいのいいの。かわいい女の子なら人間もアンドロイドも同じお客さんだから」
 「そうですか。えとちょっと見させてください」
 「どうぞどうぞ、用があったら声をかけてね」カウンターの向こうにまた座って本に戻る。
 店の中にはいろいろかわいい雑貨や小物が置いてあった。ネットで注文すれば大抵のものは買えること
を思えばあまり効率がよろしくない古来からの陳列法 ではあるのだがこういう雰囲気は嫌いではない。
 「あの、これください」いろいろ見た後、目に留まった棚の小さく区切られた中から 白と水色の縞々の
下着をとった。普段は一体型のインナースーツを身に着けているのだが こういう下着もちょっと欲しか
ったのだ。
 「それとあの服なんですが」ウインドウに飾られている服の方を見ていった。
 「ああ、あれねー。あなたにはちょっと大きいかもね」女主人が見立てで言った。
 「やっぱり、じゃいいです」
 「そう?でもサイズ教えてくれれば直してあげるわよ。気に入ってくれてるのでしょ?」
 「ええまぁちょっと。すみません、また出直してきます」
 「そう?まぁここはさ趣味でやってるようなもんだから。気軽にまたいらっしゃいな」
 「はい」
 「私は千歳よ、お嬢さんは?」
 「いおんです」
 「いおんちゃんね。今度は一緒にお茶でも飲みましょう」そういうと優しく微笑んだ。

 

 いおんは店を出た。いい感じのひとだったな…そういえば店の名前もCHITOSEという。
 またこようかなと思い買ったばかりのちいさなかわいい柄の紙袋をポケットにしまおうとした。
  目の前をさっと横切る白い影があった。一瞬何がおこったのかよくわからなかったが塀の上に白い
猫がいて何かを口にくわえている。 さっきの店の紙袋と同じものというかそのものだった。
 「え?ちょっちょっと…」返して!という間もなく猫はそれをくわえて駆け出した。
 しかたなくいおんもそれを追う。 猫は角のあたりに来るといったん立ち止まりこっちの方に振り向いた。
 「ちょっとまってよ!返しなさーい!」 追いつきそうになって手を伸ばすとするりとすり抜け別の方角
に走り出す。 これが2回ばかり続いてから猫は長い生け垣を走ってから門を曲がり中に飛び込んだ。
 いおんも追いつくと門の前に立った。そこは庭園になっていた。円形のすり鉢上にに囲むように
バラがたくさん何段も植えられていて中央には噴水があった。猫はどこかに消えてしまっている。
 


「ここに飛び込んだはずだけど…」階段を降りて曲がりくねった通路を歩きながら辺りを見回しさっき
の白い猫を探すがどこにもいない。下まで降りると噴水の前のベンチに 何か置いてあった。
CHITOSEで買った小さな紙袋である。 拾い上げるとちゃんと中身もあるらしい。
 『…いおんちゃん…』だれかの声がした。上の方か?見上げると噴水の正面にある時計台の上にさっき
の白い猫が立ってこちらの方を見下ろしていた。
 「あなた、ロボットだったの?ちょっと降りて来なさい」どうしてこんな事をしたのか聞きたかった。
白猫は何も答えずいおんの顔をじぃーーと 見たままだ。
 「怒らないから降りて来なさい」 いおんが一歩前に出ようとすると猫の瞳が金色に光りだした。
 何か光の粒子のようなものが出て来ていおんの方に粉雪のように漂って来た。
 「え?なに?なんなの??」 それが漂ってくると見にまとわりついてきた。急に体の力が抜けていく。
 へなへなと後ろのベンチに倒れ込んでしまった。そのまま意識が薄れだし半身ベンチに倒れ込んだ
。  誰かの声がした。さっきの白い猫の声のようにも思えたが心に直接響いてくるような気がした。



 

 『君に必要なのは愛と勇気と少しの力だ。愛は十分すぎるが勇気はもうちょっと欲しい。
 最後の力は…何とかなる。これを使えばいいだけからね』
  白猫の首輪あたりから金色の光が奔っていおんを包み込んだ。
 「ナノメタル…エンジン……?……なに?それ???」
 謎の言葉が心の中に浮かんで来てから光の中で意識がふっと途切れた。

 いおんははっとなった。今まで見てたのはなんだったのか?さっきいた白い猫もいつの間にかいなく
なっている。気がつくと盗られたはずの縞パンの袋は右手にある。 そしていつの間にか左手にも何か
握っていた。一辺が3cmぐらいの三角形の金属板だった。表面が磨き上げられていて金色に光っている
が金でも金メッキでもなかった。 そして何やら刻印が入っている。模様はよくわからないものだが文字
の部分には"iEon" とあった。するとこれは私と関係あるものなんだろうか?なんだかわからないがそれ
は とても大事なもののような気がした。身を起こすといおんはそれをポケットにしまった。



  いおんが意識を取り戻した頃、さっきの白い猫は塀伝いに街のはずれあたりを歩いていた。
隣には長い階段が続いている。その半ばほどに階段が途切れた一角があってそこからは町のほぼ全域
を見渡す事ができた。十代半ばぐらいの一人の少女が立っている。 白いコートに白い帽子。
髪の毛の色は透き通る銀髪だった。瞳の色はルビーのように赤い。

 「ワッフル、首尾はどうですか?」透き通るような穏やかな声で猫に問いかける。
 「セレーネ、例のものはあの子に届けたよ。でもあのユウゴってのははっきりしないね。
 ちゃんと言えばいいじゃないか。『オレにしっかりついてこい』って命令すればいいだけじゃん」
 「それをしないのが彼のいいところなのですよ、だから彼女を預けたんじゃありませんか」
 「そんなもんかなぁ…ボクにはよくわかりませんけどね」
 「とにかく事態が何らかの進展を見せたならあなたは彼女のところに行きなさい。
あなたは彼女にとって必要になる事もあるでしょう」
 「まぁね。ボクの持っているものはもともと彼女のものだから」
 ワッフルと呼ばれた猫はさっき来た道を振り返っていった。                


***********


 ここはルナシティIIIのどこか。地下の掘り抜いて作った金属製の部屋の中で男たちが数人、テーブル
を囲んで話をしている。彼らはどこかしらひとくせもふたくせもありそうな面構えばかりだった。
リーダーらしき黒いコートを着た男が言った。
 「では作戦は予定通り決行する。だが油断は禁物だ。UNIVACという組織は連邦軍や惑星警察ほど
腐っている訳ではないからな」そういうと一同を解散させた。

(つづく)
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copyright by まりそん(marison)/UNIVAC広報課 2007

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